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書を捨て街に出よう [付則2]

「君はすっかり読んでしまったら、この本を捨ててくれたまえ・・・・・そして外へ出たまえ。私はこの本が君に出かけたいと言う望みを起こしてくれることを願っている。どこからでもかまわない、君の街から、君の家庭から、君の書斎から、君の思想から出てゆくことだ。私の本を携えて言ってはいけない。」
                      アンドレー・ジッド
 若い頃、妙にひきつけられた【書を捨てて外に出よう】の冒頭の部分である。続きがある。「頭の学問を止めようとする訓練は暇がかかるのみならずなかなか困難であった。しかしこれは人々から強いられたあらゆる学問よりは私にとってははるかに有益でありかつこれが真の教育の始まりでもあった。」玉を拾う屑篭とその手法に気が付き始めたとほぼ同じ頃読んだアンドレージットの本である。何回と無く反芻してみた。

同じ頃見たヘレンケラーの映画の記憶とダブってきたような気がしていた。彼女もまた感覚から入っていったような気がしてきたのである。もちろん、サリバン女史の手法であるけれど、・・・・。
  【参考文献、サリバン女史著 (愛とまごころの指)】

「大切なことは君のまなざしの中にあるので、見られたものの中には無い。」人間の持つすばらしい能力の開放を歌い上げているのではないかと感じていた。 そして次の「浜の真砂は心地よいと読むだけでは私は満足しない。私はそれを感じたいのだ。・・・・・まず、感覚を通して得た知識でなければ私には知識とは無用のものだ。」と言う言葉に魅了された記憶がある。「自分の感性で捕らえたものとそこから出発してみよう。」とするジッドの決意のようなものを感じ取っていたのではなかろうか。

「これこそが学びの原点であり出発点ではないか。」と考え始めた。中学生時代、数々の脱線授業をしてきた自分にとっては最高のアドバイスではないかと思うようになった【その性格は今でも抜けていないらしい。】。そして、先生も好奇心を呼び起こすための方法を随所に取り入れていたような気がしてきたのである。
  【参考文献、面白中学の三年間とその後、私のブログ。】

「よし、この方法を生涯貫き通すのだ。」という決意は比較的簡単に出来た。1日2時間、366日、40年以上をノルマとした生涯学習の決意である。付き合いでどうしても出来ないときは休日に加算するということと、そのときの感性で捕らえたものを、興味のあることを優先するということである。
  【参考文献、1日1発想366日 糸川英夫著】
  【参考文献、販売と広告の心理学 アイドマの原理】

 さまざまな課題はその時々の工夫で乗り切ってきた。時間的に途切れてしまう弊害は「玉を拾う屑篭とその手法」や「耳学方法論」で解決できる。

すぐに脱線してしまいかねない弱い自分には好奇心を持ってガードレールにしよう。
 【参考文献、現代版徒然草素描 ブログ人】

注 表題を変えてありますが、いくつかのブログとダブル投稿になっています。


オペレーションの基本的な原体験 [付則2]

中学生時代のクラスマッチでこのオペレーションすると言う基本的なことをしたと考えています。誰でも経験することだけれど、・・・。

 管理職の先生(確か鎌田先生といっていたようだが、・・・。)と三年生が体育スポーツで一日が終えるのだが、この時二年はソフトボールで3年生が球審塁審をして総当りで戦をすることに成っていた。ソフトのルールも少し変えたと思われる。野球のようにリードしてもよいということにしたはずだ。
 先生たちのストライキの日程は前もって分かっていたので、ソフトの選手はホームルームの時間に選出した様に記憶している。確かそのときだと思うが、峰子が私のことを「何でメンバーにいるのだ。」との疑問を投げかけた折、健次郎だか、和田久雄が「名キャッチャーをはずすわけには行かない。」といっていたようである。
ピッチャーゆち(増田豊)キャッチャー(私、)ファスト(大西豊,身長が高い)セカンド(宮下恒雄)サード(和田久雄だか寺島)ショート(和田、寺島のどちらか)ここの間記憶が不明瞭,レフト(三男)センター(健次郎)ライト(直忠)の布陣で一組、五組を破るが三組がメンバー的には揃っていたので最大のライバルであった。町田、須田、末次他(名字を忘れている)それでも、何とか二組が二点か三点リードしていたのだが三組の攻撃の時ワンアウトでランナー一塁と二塁の状態で須田、町田のクリーンナップである。ここで長打が出ると一気に逆転の危機である。

 そこで一計(打ち取るにせよ、打たれるにせよ、野球やソフトはせいぜい30%の確率しかない。だったら、タイミングをずらすか、相手のミスを誘うか、速い球より反作用がない分長打は防げると判断していた。)私は、豊かに思いっきり遅くて、しかもやまなりの球を投げるようにいって、しかもインコースで勝負に出ることを告げて、三男をいっぱいのところまで下げ健次郎に左よりの守ってもらい。もちろん三遊間も二三歩後ろに守ってもらう段取りを取っての勝負である(健次郎を含めた三人に指示したことはない彼らが自ら判断してそのようにしたのでそのままにしただけである。このメンバーの多くの人はそのくらいのセンスは持っていたということである。ただ、三男のところに打球が飛んでいく可能性が非常に高いので彼には直接指示したのである。)。
 町田が先なのか後なのか記憶にない。二人とも三男へのライナーとファルフライ(これもレフト線いっぱいのきわどいものであった。)でアウトにする事でこの試合は私たちの勝利で終わる事となる。
四組との試合は時間の関係で流れてしまったのだが、この年の体育は四組と合同になっていたので授業中の対戦では私たちが常に勝っていたなどの理由から多分やっていても二組の勝利で終わったものと判断している。【女子も何らかの競技をしたと考えられるが、トンと記憶に無い。】


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