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45人目の学友、健一について [転校して行ったひと]

 彼はおそらく一年の二学期の終了まではいたものと考えられる。現に陸上のクラスマッチには参加していることになるが、選手ではなかったので、記憶している人が少ないのだと考えられる(多くの同級生や先生でさえ忘れている可能性がある。第一卒業まで一緒にいなかったので卒業アルバムには写真がないことになる。)。

 ホームルームの時間に川遊びが計画されて、学校の西側の立屋に通じる橋の上流へ行ったことがある。「この道は男坂、女坂に通じる道だとか、そのものだとか、戦国時代、特に川中島合戦の上杉謙信と武田信玄の折に戸隠の僧たちが戦乱を逃れて避難してきたのだ。避難先は塩沢ではなかったのか。」と誰かが言っていたような気がする。立屋出身の寺島なのかも知れないが、確証はない。先生でないことは確かであるが、その場所は川が少しカーブになっていて、水もよどんでいた。釣りにとっては絶好の場所だったのかもしれない。
 この時、彼の仕掛けておいた釣り糸が私の足に絡まり、引き上げると魚がかかっていた。ところがハリから外す段になり、確りと食いついていなかったのだが、魚を逃がしてしまうことになる。「先生、伊藤、オレの仕掛けた釣り針を引き上げて,釣れていた魚を逃がしてしまった。」それ以来私は魚泥棒である。「しかし、にげてしまったものはどうしょうもない。」このことは私以外に何人かが絡んでいるのだが、昔のことで誰と誰までは覚えていない。こんな経験から、「良い、悪いにつけてこういう感動体験(リンク情報が絡んでいる。)は長く記憶に残るものだ。」ということはそれからまもなく知ることになる。
 おそらく、その後、6ヶ月を経ない時期だったと感じている【物事を忘れなくする方法として、その後の人生に何らかの影響があったと考えている。中学生時代さまざまな場面にこの方法を採用してきた。写生大会しかり、学校林の下草刈りしかりである。】。彼が実は45人目の学友として確かに居たということが言えるし、彼の姉さんは三年生で駒沢先生のクラスにいたし、当時お母さん小学校の小根山分校の先生をしていた。

    【人の世の男の坂と女坂 幾度越えなんこの道はるか】【人鑑より】

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