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母親の知恵 [家庭教育の領域]

はるか昔、私がまだ小学校の分校時代にゆで卵の件で弟とけんかになった。弟はまだ就学前の出来事である。原因は卵の空気の入っていてへこんでいる部分の所が上手く向けずしかもそこにつめの後が残っていたのと、卵が今のように新鮮な状態ではなく冷蔵庫もないので当時は籾殻の中に保存しておいたものと思われるが、幾分日が経った状態のものであり、つめの傷のところから僅かかけた状態になっていたのである。私のゆで卵が残っていればわたしのやつと取り替えれば済むことであるが、既に胃の中におさまってしまっている。小さな弟は私がそこを食べたて自分によこしたのではと疑いけんかとなってしまった。「母ちゃん、兄貴はオレの卵を抓み掻いて食べてからよこしたのだ。」と泣きながら母親に訴えたのである。母親は説得するものの、弟は頑として納得しないので仕方なく、剥いたから殻を探し出すも見つからなかった。そこで新しい卵を用意して「ここは卵が生きている為に空気をためておくところだ。」と説明しながら、小さな弟に自分で剥かせることで解決した。

 実際、生卵は殻を通して呼吸しているが細かいことは取上げないこととする。大きなことではないが、家庭教育が持っている素晴らしい要素はこの手続きが愛情に満ちた知恵であるということが出来る。実はこのことが現代教育からはすっぽりと抜け落ちていると言うことであり、家庭の持っている教育的な側面がなくなっている。塾などは学校教育の延長でしかなく、知恵をうるための方法もそこへ行くための道筋も会得しないまま大人になっているのではなかろうか。近年の悲惨な事件の原因ではないのだろうかと勝手に考えている。

 【事実の因果律を極めるのが知識であり、学校教育や科学の専門とする分野である。価値の因果律を極めるのが家庭教育や、欲望と付き合う方法であり知恵と言える。この両方が必要になっているが、最近は知識のほうに重点が置かれてしまっていることに問題がある。】親が忙かしいことで子供の生活の中でのちょっとした疑問に答えるという基本的な行為まで奪ってはいないか心配するのは私だけなのだろうか。饒舌に満ちたテレビや、面白いゲームに多くの時間が当てられて親子の本当の会話は何処かに行ってしまってはいないか。又、この種の会話もテレビなどのスイッチの入ったままの状態であり、場合によっては顔と顔をつき合わせていないという可能性がある。親も子どももテレビを見ながらの会話になってしまってはいないのだろうか。

 現在であれば、パソコンで卵の構造を検索すればこの種の情報は簡単極まりないものであるが、子供と一緒になって彼らの生活の中にあるちょっとした疑問を解決する方法が家庭の中に残されているのだろうか。

【   】の部分は先生の意図したこととして別のスペースで詳しく書いている。具体的には【ハードとソフトの融合又は知恵を求めて】の中にある。

 注 最近「佐賀のがばいばあちゃん」がベストセラーになっているが、その多くは知恵を教えているものである。


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