So-net無料ブログ作成
検索選択
オペレーションのきっかけか ブログトップ

渡辺との尽きない議論 [オペレーションのきっかけか]

渡辺は当初清城館の斜め北側に間借りしていた。彼の家の近くには高木建設の製材所がありすぎなどの木材を加工していたので。木のにおいが一面に立ち込めていた。父は新聞販売をして彼も新聞を配っていた。ただ父の趣味の影響を受けてラジコン飛行機を飛ばしていたそのころのメカマニアが現在の仕事カメラに生きていると思う。また飛行機だの昔の戦艦の性能などよく知っていて時間を忘れて話したことがある。

 私も学生時代に、オペレーションリサーチ【OR】を専門としたのですが彼と話したときのことがずいぶん参考となった。というのも作戦指令【0R】は自軍の戦力と敵の戦力をパソコンに入れその時どのような作戦が一番適しているかを研究する学問であり後に企業などの経営戦略や市場調査に応用されるようになったものである。
 特に第二次大戦当時の戦艦やゼロ戦などには詳しかった。また日本の戦艦の大砲は着弾の際色のついた水柱を上げることなど教えてもらった。なぜそうなっていたかということは当時双眼鏡で彼岸の距離を測っていたので自分の打った砲弾と自軍の別の戦艦打ったものと区別することで、双眼鏡の距離測定に最適なようにしてあるというのだ(目標を鮮明にするあるいはビジアル化することで迷いがなくなるという夢ナビノートのアイデアに生った。)また、色素を入れておくために砲弾の形状が先の円錐部分が水面に着弾した時に外れるように作られているとか、「日本の戦艦は主砲を発射するときにスイッチを押しても一度に三門或いは六門の大砲は発射されない構造に成っている。」「このことは一度に全部発射されるといくら大きな船体でも反動で揺れてしまい次の砲弾を発射する際標準が定まらなくなるためである。」と話した。作用反作用の法則を緩和する知恵だと理解していた。

 後日、特に砲弾の形状が着水した時に屈折するようになり、砲弾の入射角によっては水面と平行に進むことで砲弾の命中率を上げる工夫がなされていたことを知った次第である。尚且つ、「唯一つ残った戦艦長門は水爆実験の折に、この上で爆発させたが3日間も浮かんでいて、戦後日本の造船技術の高さを世界にアピールする結果になった。」など、彼がどこで知りえた情報なのか興味を持ったし、関心もした。

 関連するのでここに並べることにするが先生の授業だか、ホームルームの時間だか、何年の時だか記憶にないのだが、双眼鏡の話が出て、日本の技術が戦後のカメラの発展に寄与したとの話をした。そういえば、先生はカメラを持っていて行事の折にシャツターをきっていたような気がしている。また、自分が写りたい時は三男、久雄などにシャツターを押させていた。電気を利用したレーダーの話をしたことがある。「戦艦同士の戦いにおいて双眼鏡で距離を測定する為には戦艦の向こう側に一発を打ち、二発目は戦艦の手前に着弾させて三発目で当てるという手続きか必要になることと、間違って一発目が当たればよいが、それだけの時間的ロスがあるが、電波で距離を測るので簡単に彼岸の距離を割り出せるのだ。」というような主旨のことを説明していたように記憶しているものの、もう長い時間が経過しているので詳しいことは分からない。
 ただ第二次大戦の少なくともミッドウェー海戦の折には大和にはレーダーが装備されていたはずである。その使い方を周知していなかったということと、奇襲戦法であっために各々の艦で無線封止がとられていたのである。

【参考文献、戦いの法則、ミッドウェー海戦防衛庁戦史研究室編、防人の歌、「ジャンボをつった人々または危機の管理学、「学の苦悩」私の著書」】

オペレーションのきっかけか ブログトップ