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通知表事件 [その解釈と応用]

通知表事件
 学期末に通知表が配られるのはどこの学校でも同じ光景であるが、当時はおおらかなものである。

 一応、全員に通知表が渡ってから先生はこういうではないか「教員生活を始めて何回か通知表を渡してきたが、こんな経験は今までなかった。」続けて「このクラスには通知表の評価で1から5まで取ったやつがいる。」と言い出した。私は通知表をもらったものの中を見ていないので後ろの方で「そんなバカどこに居るのだ。」と騒いでいると「伊藤、おまえ自分の通知表をよく見ろ。」と来るではないか。開いて見ると確かに1から5まである。これには参った。

 このやり取りでクラス全員に1から5までとったのは私であるということはばれしまっていることになる。【この時大西豊、大日方三男は私の通知表を見て確認しているはずである。】仕方がないので何か口実になるものを探さなければならなくなってしまった。其れが次の章のことになろうとはそのときは何も気付かなかったのである。

通知表に対する勝手な解釈
 学業の業績を一年にのうち三回に分けて通告して知らしめる道具及び制度位にしか考えていなかった。いつから始まったのか、学校制度が出来た時既にあったものかそういうことは問題の外に置くとして、少なくとも中学時代は、実は次のステップの為の自己評価というか、通知表の場合は先生が評価して生徒に渡すのだが、現在自分のいる位置の指標【後に出てくる「今いる所」に関係がある。久保先生に関係する「行きたい所」に関することと連動して、夢ナビノートの原型になっている。】であると気が付くまでにずいぶん時間がかかった。恐らく、高校時代の二年生ぐらいになってからだと思われる。

 ただ、社会人になってこの種の評価と言うかそういう制度が存在していないことに気が付くのだが、実際のところは日々自己評価と、他人の評価を受けているのだと言うことであるが書面で渡されると言うことはない。特に企業家は損益計算書、または貸借対照表なる自己評価を会計年度内に提出しなければならないし、其れを提出して銀行、株主、従業員の評価を受けていると言うことである。
 通知表は常に人の周りに存在している。他人が評価するか自分が評価するかは別にして、仕事及び経済面、社会生活面、家庭生活面、精神生活面、健康面、教養面あるいは趣味の6分野の損益計算書や貸借対照表を自分で作成してみると面白いことが分かる。企業会計の方式を自分に当てはめてみることである。自分は経済的には何不自由なく生活できていても、健康を害していたのでは何も成らないということや、家庭内での諍いが絶えないのでも、子どもたちが学校になじめなくても、地域社会と上手く行かないことでも、人並みに教養がなくても、何一つかけても家の土台宜しくその上の構造物は崩れてしまうと言うことに気が付いたということであり、6分野のバランスが丁度城の石垣のように確りと組みあがっているところに意味があるのではないだろうか。
今日の企業風土もこの考え方が確りしていない結果の表れではないかと思う。会社の存立基盤が社会にある以上は社会通念及びルールを無視しては成り立たないと言う自明の論理が理解できているはずであるが、そうは行かないところに資本の論理がまかり通るということなのだろうか。競争社会の外的圧力がそのようにさせるのだろうか。つまり、もうけや、資本効率が優先されてしまうということなのだろうか。
 また、成功は他人の業績や成果と比較するおろかな行為がまだ残っている。そもそも出発点が違い、条件が違うのであり、何よりも決定的なことは個人個人の価値観が違うのである。成功は昨日の自分と今日の自分を比較することに意味があるということだと思われる。どうも人間は横の比較【他人や他社】は簡単に出来るが、縦の比較【ここでは自分の時間的な前後を意味しているが、社会の進歩や歴史的な価値の評価。いわゆる、(時系列、時間を含んだ因果律】)は明確な基準を持っていないらしい。【何を持って進歩というのだろうか。そのプラスとマイナスが表裏一対になっているはずであるが、】

カーナビや「今いるところ」「行くところ」くっきり映し迷うことなし】【歌で紐解く夢ナビノートより】


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