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修学旅行でなぜか班長 [修学旅行]

中学生時代、だいたい私が人の上に立って物事をすることはあまりないのだが、この時ばかりは何故か班長に選ばれる。理由を聞くと社会に長けているのでということらしい。

おかげでストレスがたまること、夜にでも大きいほうをしておけばすむことであるが、旅館、多分、上野の近くで一泊した時だと思うが、牧子、良子の前に並び「男はこちらではない」といわれるものの、「バカ大きいほうだ。」と答えていた。この時、英雄も一緒だった。

当時この修学旅行は西山地区の中学全体で汽車を借りきり、(碓氷峠は既に電化になっていたのだろうか。それにしても、横川駅や軽井沢駅で機関車をつけたり外したりするのに大分時間がかかったと記憶している。)東京の見学コースを変える事で対応していたものと考えられる。現に中条中学と上野美術館で一緒になり、小川中学の三組だか、五組の連中と、二組は直接関係ないが、もめることとなるが(このことは先生たち知らない。同行の内田先生も知らない。)けんかだか口論だか良く分からない雰囲気となってしまい。私か仲裁に入った記憶がある。というのも、中条のグループには、奈良井の宮脇(現、小山木材社長)がいて、私の部落とは直線にしても一キロとはなく、奈良井のお祭りなどで顔をあわせていたので知り合いの仲である。又、忠雄(一組)も出てきてもらって解決したものと思えるが、恒雄だったかも知れないし、詳しいことは忘れてしまっている。

この件は私もばらしていないし、永い間伏せてきたので、先生たちも知らないことである。

それにしても、ロマンスカーのクッションには往生した。三日目のたぶん国際劇場のラインダンスを見てから【ラインダンスも、舞台が回る。】はいてしまい、健次郎と恒雄にはこの場を借りて謝らなければならない。

実はその前の日から気分が悪くなっていて、バスの中で寝てしまっていた。どこへ移動する時かは覚えていない。確か、私は東京のバスガールの歌をガイドさんが歌った後で、何かのヤドリギの説明があったと思う、杉の木に桜だったのかも知れない。【この箇所は、確信がないため幾分想像で書いてある。】

先生の「良孝、どうしている。」と前のほうで言う言葉に、まき子だと思えるが、「寝ている。」と答えていたことは覚えている。「いいことだ。」といっていたような気がするが、何かにつけていつでも騒いでいる私が静かにしているので、先生もさすがに心配になったか、問題行動(今の子どもたちのようにそんなに悪いことはしていないし、其れぐらいの分別は持っていた。)を起さないことで安堵したかのいずれかだろうと考えていた。

江ノ島を見学した後、対岸の旅館に一泊した。旅館の名前は忘れている。何故こんなことまで覚えていられるのか不思議にかんじる人は、私も、文集は中学を卒業してから少しの間は持っていたと思えるが、どこかにやってしまっている。

その旅館にテレビがあり、おおくの男子が力道山とデストロイヤーだったと思うが、食事の後の時間に、前だったのかも知れない。クラス関係なくロビーで観戦した記憶が残っている。四の字固めが、空手チョップがどうのこうのという話題で沸き返っていた。たぶんこの時に力道山が四の地固めをかけられていたが,このワザはひっくり返ると逆にかけたほうが不利になるワザであったと記憶している。力道山がひっくり返ったことで逆転勝利したのではないかと思われる。相手はたぶんデストロイヤーではないかと考えている。

旅館に入る前に江ノ島の見学を済ましたのか、旅館に荷物などを置いてから行ったのは定かではないが、そうだ思い出した荷物は別便で既に目的地に届けられていて身軽な状態で各名所や見学先にいけたのだ。江ノ島神社や灯台のところを通り島の向こう側の海岸のところまで行った。日の高い間は江ノ島の対岸でよくテレビで海水浴場となっていたり、天気予報のときに江ノ島を映すところで波と戯れたり、写真を撮ったりした。水が引くと江ノ島と陸続きになるので途中まで行ったりしていた。

多分、大日方と秀雄は行ったみたいであり、部屋でその話をしていたと思える。

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