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私の記憶術1 [リンクの手法]

私の記憶はそれほどのものではないのであるが、実は一つの方法に則っているのだ。大切なことでもないので披露しておくが、一つの事柄に何かの情報をかましておくことで、長く覚えていられるということである。例えば、夏子のストーブの煙突が当たり手の甲を怪我したことは、この時先生は顔面蒼白状態になった。このことは良く覚えているが、・・・。(保健室に連れて行ったと思われるのだが、先生のほかに誰がどのようにして行ったのか覚えていないのである。本人が歩いていったのか、先生がおんぶして言ったのかは良く知らない。多分佐代子が一緒に行ったと考えられるものの確証はない。その後医者に言ったのかも良くはしらない。しかし、少し時間が経ってから真新しい包帯をしてきたということは少なくとも医者に行ったということである。)「不幸中の幸いであったこれが顔などだったらと思うとぞっとした。」何人かの間でそんな会話が交わされたが誰と誰だかはすっかり抜け落ちている。先生も当初は顔だと思ったのかも知れない。そうでなければそんなに蒼白になることでも無いと思うが、私も最近ボケ始めてきているようだ。

当時石炭ストーブで二人一組としてたきつけ当番がいて大体杉の葉やよしの枯れたものなどの燃えやすいものと、小枝、少々の大きい枝が必要であるが、その日まで体外忘れているのだ。思い出したときは学校へ行く途中であったりして、当時、薪などはあちこちの山にあり、雪でぬれていない部分を寄せ集めれば登校までに調達できた。

又、バケツいっぱいの石炭では午後の6時限目には火力が大分落ちてきて、体育館の下に石炭が貯蔵されていたのを良いことにそちらのトイレを使うこととしてポケットに五六個の石炭を持ってくる策略を練っていたものであるが、そうは旨くことが運ばない時もあった、西方先生か花岡先生に見つかりひどくしかられた記憶があるが、どちらの先生かははっきり覚えていない。

岡沢が石炭を持ってきたのではないか花岡先生に疑われたことがあり、彼が体育館で私に真顔で内訳話したことがある。などの関連情報と一緒にストックすることで忘れなくする工夫がなされていただけのことである。

今にしてみればパソコンで言うところの「リンクの原理」を使っただけのことである。当時まだパソコンなるものは無かったが頭の中でそのような操作をしただけである。片方の情報がもう一つの情報をバックアップしていることになる。どちらから入っていっても同じところに行き着くようになっている。

この経験が立体的思考の可能性に気が付く原型になったものと考えてよさそうです。

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