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私の脱線授業 体育及びスポーツ編 [コミュニケーション論]

バレーボールバスケットボール、或いはドッチボールなどの球技では、ボールを支配していることにより何らかの結果、ここでは得点が入るということになっている。このボールが止まってしまったときどういう現象が起きるのだろうかと考えてみると、実は、中学の時そんな変な実にくだらないことを考えていた。ボールがなくなればゲーム自体が成立しなくなってしまうということは誰が考えても自明の理である。

其れも、バレーホールのクラスマッチのさなかに、是をコミュ二ケーションに置き換えると、通訳の居ない状態の日本人と外国人を想定していたことになる。投げられたボールを言語とすれば、日本人同士である場合ですら、わからない方言を使えば理解できないということが起こるし、言葉が通じていても相手が真剣に受け止めなければゲームは成立しなくなるし、ミスは同時に相手に得点を与えてしまい、結果的に敗れることにつながるのだという確かなことではあるが、そんな妄想を抱くことになる。

後日、理解するという心のプロセスを紐解くとどうも、このボールの変なイメージが気になりだした。出来ることなら平明な言葉で自分の考えを伝達する方法や、ボールにある種の感情を持たせることで、豊かなコミュ二ケーションが生まれるのだという結論にいたることになる。

ただ、専門的な領域ではテクニカルターム(専門用語)が必要で其れが理解の早道になることも経験するが、このことを良く理解していたのが先生である。自分の専門の理科はテクニカルタームを屈指しなければならない学問の最先端であるにもかかわらず、其れを使わなければならない時でも言い換えて表現していたと見受けられる。

具体的には(キサントプロテイン反応)の実験で卵の白身の部分が黄色くなる実験をした時に、生徒に理解しやすいように(薄い酸(希酸)とプロテインたんぱく質)で黄色くなる反応でキサントプロテイン反応である。)等の表現の中に良く現れていた。
この本の中で専門用語に(・・・)を付けたり、複線にするアイデアはこんな所から来ている。このことを良く知っているのが営業に携わっている人ではないかと考えられる。彼らは商品の説明が売れるか売れないかの結果に直結しているからに他ならない。

【つながれし言葉をなくし人と鶴人間言葉と動物言葉】「鶴の恩返し」「歌創造学より」


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