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「非まじめのすすめ」より ブログトップ

人が通ったあとを通るという「まじめ」 [「非まじめのすすめ」より]

 「其れは、先入観と言うか、過去において決まりきった一つの方法、先人によって与えられた形が、絶対ではない事を知ることである。」と但し書きをつけてある。ただ、前の記述「まじめの功罪」と関連しているので感心のある人はその本を書店で買い求めて読んでみていただきたい。

 野原があった。そこへ一匹の子牛がやってきた。子牛は気まぐれに、くねくね曲がりながらその野原を通っていった。

 その翌日、狩人に追われた鹿がやってきた。鹿は子牛の通った、草が寝ている後を逃げていった。-狩人もそこを通って追っていった。草はますます踏みつけられ、はっきりと曲がった道が出来た。

 その次の日は羊が来た。羊は、その曲がりくねった小道を、曲がりくねっていると不平を言いながら通っていった。

 しばらくして、今度は旅人が来た。旅人もその曲がった道を通っていった。こうして、草も取れ、土面が顔を出し、曲がりくねった小道が出来上がった。こうなると、村人も、旅人も、馬車も、犬もそこを通る。

 月日は矢のように過ぎ、その曲がりくねった小道は大通りになった。村の家々は、その大通りに沿って曲がりくねって立てられていった。またたくのうちに、そこは大都会の中心街となった。

 鉄道がしかれたが、その線路も道に沿って曲がっていた。
 
 何十万の人々が、今も尚、
 300年も昔に通った、あの子牛に導かれて、くねくね曲がりながら通っていく。

 確固たる前例なる物は、
 こんなにまでも尊ばれるのだ。

 【サム・ウォルター・フォスの子牛の通った小道】を引用していると言う但し書きがあった。
 【参考文献、「非まじめ」のすすめ 森政弘著 講談社刊】

同じようなことをイソップ物語りでも言っていたような気がしています(第275話、ロバと仔犬の話)。


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